さて、これからどうしようか・・・。
どうしてあげるのが はっち にとって良いのか、まったくわかりません。
緩和治療にもう行かないという選択肢もありましたが、それをする勇気もなく。
2日に1回ぐらいのペースで行こうかな・・・ぐらいで考えていました。
すると保護主さんから連絡があり、はっちを引き取って看取りますと言われました。
どうしたら良いのかわからなくて、判断も出来ない状態だったので、
とりあえず保護主さんに来てもらって、話し合いをしました。

↑元気なとき。起きて毛づくろい♪
保護主さんは過去にも同じ経験があったらしく、引き取って看取ったそうです。
それを聞いて苦渋の決断でしたが、はっちを引き取ってくださいと言いました。
保護主さんは、じゃあキャリーケースを取ってきますねと言われ、
いったん外に出られました。
そのとき
「これで良かったんかな・・・?」と、自然に言葉が出ていました。
旦那もその言葉に反応していました。
途端に心の中で、なんか違う!!!という思いが走り、
保護主さんが帰ってくるや否や
「やっぱりウチで見ます!!!」と言っている自分がいました。
少し笑いに包まれながら、保護主さんも了解してくれ、帰られました。
看取るのも非常につらいけど、手放すのはもっとつらいと感じたんだと思います。
もうちゃんとウチの子になってたんでしょうね、はっちは。
即座に考えが変わったのは、看取る覚悟が出来たからなのかなと思いました。

↑はっちがしんどい時もエースはそばにいてくれました
それからは早かったです。
はっちは何も食べられずでずっと寝ていて、でもトイレをするときは
ちゃんとトイレに移動していました。偉い子です。

↑元気なとき。腕の中で寝る甘えん坊でした
数日後、もういっかいだけ緩和治療に行こうとしていた前日、
ずっと寝ていた はっち がふらふらと歩いてきました・・・!
部屋の中を探検し始めたのです。
ジャンプしないと行けない場所は、旦那が抱っこして見せてあげていました。
くまなく家の中を見て、また寝ました。
このときは純粋に嬉しかったです。

↑元気なとき。仲良くくっついて寝てました
次の日、様子が明らかにおかしくなり、息もしづらそうにしていました。
もう病院に連れて行くストレスも与えたくなくて、行くつもりでしたがやめました。
いったん落ち着きましたが、数時間後、また息苦しそうにしだしました。
手足がだんだん冷たくなっていく中、突然 はっち が顔をあげて、
私達夫婦の顔をじっとみつめ、そのまま息を引き取りました。
腹水を検査に出した日から4日後、検査結果を待たぬまま。
享年5ヵ月でした。
後日、検査結果を受け取りましたが、やはりFIPでしたね。
しかし息を引き取った後、意外にも私の心の中はすっきりしていました。
やはりあの時保護主さんに返さなくて良かった、とも思えていました。
あれからもう1年半ぐらい経ちますが、
今でも最期に顔をあげて見せてくれた姿は忘れられません。
今も書きながら泣く始末です。
はっち が家族になったのは1ヶ月半ほどだったので、
はっち がどんな子かを認識する間もなく逝ってしまったのは本当に残念です。
後日、近くのペット葬儀屋さんにて予約し、火葬していただきました。
はっち の手につける数珠を用意してくださったり、
心のこもった対応をしてくださいました。

↑お気に入りだったクッションに乗り火葬へ
のちに保護主さんから言われたのですが、
「はっち」という名前は、保護時の状況がみなしごだったらしく、
みなしごはっち から取ってつけた名前だったそうです。
だから私達やエースが家族になってくれて、はっち も嬉しかったと思います、と言ってくださり、
その文章を見て、また私達夫婦は号泣しました。
防ぎようのない病気とはいえ、我が家に来て病気になってしまい、後悔と罪悪感がある中で、
はっち がそんな風に思ってくれてたらいいなとも思うようになり、少しだけ気持ちが楽になりました。
今、はっちのお骨は家にあります。
後日、検査結果を受け取りましたが、やはりFIPでしたね。
しかし息を引き取った後、意外にも私の心の中はすっきりしていました。
やはりあの時保護主さんに返さなくて良かった、とも思えていました。
あれからもう1年半ぐらい経ちますが、
今でも最期に顔をあげて見せてくれた姿は忘れられません。
今も書きながら泣く始末です。
はっち が家族になったのは1ヶ月半ほどだったので、
はっち がどんな子かを認識する間もなく逝ってしまったのは本当に残念です。
後日、近くのペット葬儀屋さんにて予約し、火葬していただきました。
はっち の手につける数珠を用意してくださったり、
心のこもった対応をしてくださいました。

↑お気に入りだったクッションに乗り火葬へ
のちに保護主さんから言われたのですが、
「はっち」という名前は、保護時の状況がみなしごだったらしく、
みなしごはっち から取ってつけた名前だったそうです。
だから私達やエースが家族になってくれて、はっち も嬉しかったと思います、と言ってくださり、
その文章を見て、また私達夫婦は号泣しました。
防ぎようのない病気とはいえ、我が家に来て病気になってしまい、後悔と罪悪感がある中で、
はっち がそんな風に思ってくれてたらいいなとも思うようになり、少しだけ気持ちが楽になりました。
今、はっちのお骨は家にあります。
奥に骨壷を置き、手前に思い出の写真を飾っています。
確立されたワクチンやお薬が当時は無く、本当につらい思いをしましたが、
いつか必ず、FIPは治る病気、防げる病気、になることを実に願っています。
いつか必ず、FIPは治る病気、防げる病気、になることを実に願っています。
おもいで動画を作ってみました。